제목   |  [05/17] 関西の大学では「○回生」と呼ぶのなんでなん? 작성일   |  2024-05-10 조회수   |  33914

関西の大学では「○回生」と呼ぶのなんでなん?

 

2024年5月10日 11時19分 大阪府

この春、大学に入学し、キャンパスライフをおう歌している学生も多いのではないでしょうか。

関西の大学では、自己紹介などで学年を伝えるとき、「○年生」ではなく、「○回生」という言い方が定着しています。

なぜ「○回生」という言い方をするようになったのか?

大阪出身で東京の大学に通った記者と、石川出身で京都の大学に通ったディレクターがその謎を追いました。

(なんでなん取材班 大阪放送局 記者 泉本亮太 / ディレクター 木下央之)

 

なぜ○回生、学生たちは…

「○回生」の謎。

まずは使っている本人たちに尋ねてみようと、学生の街・京都へ。

「あなたは今、『何年生』ですか?」

取材班はあえてこのように聞いてみたのですが、返ってきたのは…

 

 

 

1回生です」

 

 

 

 

2回生です」

 

 

ほぼ全員が「○回生」と答えました。

大阪出身の記者は、地元の大学に通った兄が「○回生」と言っていたこともあり、違和感はなかったのですが、いざ東京の大学に進んでみると、周りは皆、「○年生」と呼んでいて驚いた記憶があります。

「○回生」という言い方、関西以外の人にとってはどう感じるのでしょうか?

 

 

大学の構内にお邪魔して、静岡出身の1回生に聞いてみると。

 

 

 

「なんか、まわりがそう言ってるんでって感じで、惰性で使っている感じです」と皿回しをしながら答えてくれました。

 

インタビューを終えても回り続けるお皿に見とれていましたが、このままでは謎が解決しないので、気持ちを切り替え、次の学生に当たってみることに。

 

 

 

次は男子学生のグループに聞いてみます。

愛知出身の「4回生」が、

「関西の人は、普通に高校の時から『○回生』って言ってんのかと思ってたんですよ」というと、関西出身とおぼしき学生がすかさず合いの手を入れます。

「いやそんなことない」

愛知出身の学生が続けます。

「しかも、自分で『何年生』って言うと、周囲から『いやいや、関西は『何回生』って言うねんで』って言われちゃうんで」

 

定着のきっかけは?

それほどまでに定着している「○回生」。

ことしの直木賞受賞作で、京都を舞台にした小説「八月の御所グラウンド」(万城目学 著)でも、「4回生」「5回生」という表現が出てくるほど。

その由来を調べていくと、京都大学が起源だという説に行き当たりました。

 

 

真偽を確かめるべく、京都大学へ。

高等教育の歴史が専門の西山伸教授に話を聞きました。

 

 

西山教授が取材班に見せてくれたのは、『以文會誌』という資料です。

 

 

明治43年に学生によって出版された雑誌で、文中に「2回生」という記述がありました。

 

京都大 西山伸
「私が見たいろんな資料の中ではこれが一番古い『○回生』の使用例ですね。おそらく京大ができたときの教育のあり方がこの(○回生の)名前の由来になっているのではないかなというふうに考えています」

 

 

西山教授によると、明治期に京都大学が東京大学と異なる教育方針を打ち出したことが、この呼称を使うようになったのではないかと説明します。

 

 

 

東京帝国大学では、国家の中枢を担う官僚などを育てるため、1年ごとに履修科目が決められていました。

そのため「学年」に対する意識が強く、「1年生」、「2年生」といった呼び方がされたといいます。

一方、学生の自主性を重んじた京都帝国大学は、在学中に一定の科目で単位を取得すれば卒業できる「科目制」を採用しました。

そのため、学年ではなく、在籍の年数を「回」で表したと言うのです。

 

 

 

京都大 西山伸
「京都大学の場合は、必修の科目を大幅に減らして学生に選択の自由を与え、学年には基本的にはこだわらない教育システムを導入しました。そのため、大学に入ってから何年目という意味で『何回生』ということばを導入したのではないかなというふうに考えています」

 

 

来は京都大学、ではなぜ広がった!?

 

 

京都大学で使われ始めたこの呼び方がなぜ定着したのでしょうか。

取材を進めていくと、次に行き当たったのは立命館大学。

 

 

日本近代史が専門の山崎有恒教授に話を聞くと、京都大学が由来だという説を追認しつつ、「○回生」という呼び方が定着したのは、立命館大学が果たした役割も大きいのではないか、と教えてくれました。

どういうことなのでしょうか。

山崎教授によると、立命館大学の創立当時の理念が関わっているといいます。

 

 

明治33年に「京都法政学校」としてできた立命館。

一部のエリートだけでなく、多くの若者が働きながらでも高等教育を受けられるよう、夜間学校として設立されたという特徴があるといいます。

ただ、設立当初は自前で教授を集められず、講義をしていたのは京都大学から派遣された教授たち。

 

 

その試験もハイレベルなものだったということです。

「立命館百年史」によると、はじめの年に入学した305人のうち、卒業できたのは2割に満たない57人。

何度も留年する学生が続出したといいます。

1年生を、2回も3回も繰り返す学生が出てきたため、徐々に「学年」への意識が薄まっていったのではないかというのです。

 

 

 

立命館大 山崎有恒
「当時、『ちょっと厳しいぐらいの教育をしないと、社会に通用する有用な人物は育てられないぞ』という思いがあったんでしょうね。留年する学生たちをどうやって把握するかと考えたときに、『○回生』というシステムが非常にフィットしたんだというふうに考えられると思います」

 

 

山崎教授は、こうした立命館式の教育システムがその後に誕生した関西のほかの大学に取り入れられた結果、「○回生」という呼び方も定着していったのではないかと考えています。

 

 

西以外でも

関西一円に広がった「○回生」。

では、その境界はどこにあるのか。

関西周辺の各県の国立大学に取材したところ、中国や四国地方では一部使っている大学があった一方で、三重や岐阜、福井といった関西に隣接している県では使っていないという回答がありました。

これには、京都大学の教授が西日本各地の大学に転籍したことで定着したのではないか、といった説がありました。

取材すればするほど広がっていく「○回生」の奥深さ。

取材班のひとり、ディレクターの木下は留年して「5回生」となりましたが、学生の皆さんには必要以上に回を重ねないよう、計画的に単位を取っていってほしいと思いました。

 

 

(4月24日「ほっと関西」で放送)

 

 

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240510/k10014442921000.html

 

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